「あなたにとっての音楽の神様は誰ですか?」と問われたら、あなたはどう答えますか?
ジョン・レノン、ジミヘン、ボブ・マーリー等々、人によって答えは様々でしょうが、私なら迷わずこの3人を挙げます。
マイルス・デイビス(モダン・ジャズ)
アストル・ピアソラ(アルゼンチン・タンゴ)
ジョアン・ジルベルト(ボサノバ)
ちなみに、次点はカエターノ・ヴェローゾと80年代のプリンスかな。
この人達に共通しているのは、人間が音楽を作っているのではなく、その人自身が音楽そのものだと思えるところ。彼等の音楽についての僕の知識なんて浅いものだけど、それでも、この3人の存在は僕にとって別格です。
そんな神様3人のうち、今も生きているのはジョアン・ジルベルトのみ。しかし、ジョアンという人の奇人変人ぶりは有名で、ライブの遅刻やドタキャンは当たり前、「空調の音がうるさい」と言ってホールの冷房を切らせたとか、普段はホテルの1室に閉じこもり、外部の人とは全く会わないとか、色々な伝説があります。そんな人なので、ブラジル本国でもジョアンのライブを観るのは簡単ではないらしく、来日公演なんて夢のまた夢、と諦めていました。
そんなわけで、今回の来日実現はまさに奇跡と言っていいでしょう。ブラジル音楽ファンにとっては、史上最大の出来事でしょうし、72歳という年齢を考えると、最初で最後の来日なのは間違いない。問題は、本人が本当にブラジルから日本に来て、ステージに立ってくれるのかどうかだけ。多分、チケットを買った人はみんな同じ心配をしていたでしょうね(笑)。
今回の日本ツアーは、9/11、12と東京国際フォーラム、9/15がパシフィコ横浜、9/16にもう一度国際フォーラム、という4回公演。私は祝日のパシフィコ横浜を選びましたが、ギター弾き語りの1人ライブで、チケット12,000円とは! ジョアンのギャラはそんなに高いのか?
なにしろ、本人が来日しないことには話が始まりませんが、「2ちゃんねる」のワールド音楽板で、初日の公演が無事行われたことを知って、まずは一安心。新潟から横浜へと向かったのでした。
会場のパシフィコ横浜には16時30分ごろに到着。ロビーからは横浜港やベイブリッジが一望でき、ロケーションは最高ですね。
観客はやはり年齢層が高く、白髪・ハゲ率はかなり高い(笑)。開演の17時が近づいても、ロビーの物販の行列が無くならないのは、開演が遅れるのは当たり前、とみんな分かっているからだろう。
開演時間になったので、念のため、自分の席(2階席の一番後ろでしたが、これでもS席とは!?)に向かうと、ホール入口には「アーティストの意向により、本日は冷房を止めております」という貼り紙が(笑)。う〜ん、やっぱりか。
そして、17時を10分くらい過ぎたところで、場内アナウンス。「開演時間を過ぎておりますが、アーティストはまだ会場に到着しておりません。」う〜ん、やっぱりか(笑)。観客の皆さんも笑ってましたが、今日だけ会場が横浜に変わるだけに、ジョアンの機嫌が変わったらどうしよう?とちょっと不安な気持ちになりました。
そして、17時30分頃、「ただ今、アーティストは会場に到着しましたが、開演までもうしばらくお待ちください」と再度アナウンス。アーティストが会場に来ただけで、こんなに嬉しくなるライブは初めてだよ(笑)。
しかし、会場入りしても、本当にステージに上がるかどうか分からないところが、ジョアンの怖いところ。ホール内は静まりかえり、静寂の中、ジョアンの登場を待ちます。別に私語禁止なわけではないけれど、ジョアンの機嫌を損ねないよう、観客全員が気を使っていたのでしょう。
時計の針が18時を指す頃、場内が暗転して、ついにジョアン・ジルベルト本人がステージに登場!
ギターを1本持ち、意外としっかりした足取りでステージ中央に向かい、観客に一礼した後、椅子に座ります。そして、1曲目は確か“ワン・ノート・サンバ”だったと思う。
場内は一気にジョアン・ワールドに・・・と言いたいところだけど、演奏がショボい。ジョアンの声はたどたどしいし、ギターの響きも悪い。なんだか近所のお爺さんの宴会芸みたいと言ったら言い過ぎか。72歳という年齢を考えると、体力的、技術的な衰えは当然あるにせよ、神様ならではのマジックを期待していたのに・・・。
神様の姿をこの目に焼き付けようと思いつつも、ボソボソとした弾き語りライブでは、睡魔が襲ってくる(笑)。本当に私は寝てしまいそうになりましたが、30分ほど過ぎたあたりから、神様は輝きを取り戻し始めました。一度スタッフが出てきて、マイクの位置を直していたので、そのおかげもあるのだと思いますが、声にもギターにもようやく艶が出てきた。気がつけば、カエターノがプロデュースした2000年作「ジョアン、声とギター」の世界そのままの演奏が、目の前で繰り広げられていました。
そこから先はもう夢のような音世界。僕はボサノバの熱心なリスナーではないでの、曲を聴いてすぐにタイトルが分かるのは数曲しかありませんが、聞き覚えがあるかどうかなんて関係ない。ジョアンの周りだけ時間の流れが違うように感じました。
国安真奈さんが公演パンフレットの中で、上手い表現をしています。
「彼の記憶のレパートリーには、ブラジル人コンポーザー達の作品が図書館の蔵書のように整然と並んでいる。その一冊一冊を、彼は一人で大切に保存しているのだ。こんな痛みやすいものを保存していこうとすれば、外界からの過剰な光やチリやホコリは敵以外の何者でもないだろう。」
そう、彼は決してわがままな奇人変人ではなく、自分の愛する音楽を心から大事にしているだけなのだ。
そんなジョアンを観客も大切に見守ります。たまに咳が聞こえるくらいで、演奏中の観客は物音一つたてないくらいの静けさ。しかし、演奏が終わると割れんばかりの拍手で、ジョアンがまたギターを構えると同時に拍手もピタっと止まる。もっとも、東京の初日はもっと静かで緊張感に溢れていたらしいですが。
開演から1時間半が経った19時30分頃、本編は終了。ジョアンは一旦舞台から降りますが、すぐに戻ってきてアンコール開始。
この日のジョアンはかなり機嫌が良かったらしく、5〜6曲歌ったところで、観客の拍手に合わせて自分も拍手し、さらに立ち上がって観客に一礼。多分、あれはジョアンにとって最大限の感謝の表現なのだろうと思います。
そして、さらに数曲歌ったところで、突然ジョアンが全く動かなくなりました。観客はひたすら拍手を続けますが、ジョアンは椅子に座ったまま動かない。フリーズ状態のまま15分が経過し、心配したスタッフがジョアンに話しかけると「大丈夫だ」と言っている模様。しかし、その後5分経ってもまだ動かないので、もう一度スタッフが声をかけ、観客の拍手が一段と大きくなると、ようやく演奏再開。なんと20分間のフリーズでした。
このフリーズ中に1階席でカメラのフラッシュが何回も光ったのには驚きました。今回は会場入り口での荷物チェックが無く、確かに観客がカメラを持ち込むことは可能でしたが、あの繊細なジョアン(しかも本番中)に向けてフラッシュを浴びせるなんてちょっと信じられない。ま、この出来事が伝説化するのは間違いないので、気持ちは分からないでもないけど、せめてフラッシュは使わずにこっそり撮れよなぁ・・・
「2ちゃんねる」情報によると、この時ジョアンは泣いていたらしい。2階席で観ていた私には、ジョアンの表情は分かりませんでしたが、一部の観客のマナーの悪さに泣いていたのではないことを祈ります。
ともかく、20分間のフリーズも含めて、アンコールは1時間以上。最後の曲は“イパネマの娘”で、終演は20時45分。なんと3時間近いライブでした。
多分、もう2度と観ることはできないジョアン・ジルベルト。ライブを観ながら「死なないでほしい」と本気で思ったことなんて、初めての経験でした。年齢による衰えは当然ありますが、ボサノバの神様は今も健在。神様と同じ時間を過ごせたことを誇りに思います。
「ラティーナ2003年11月号」に、今回の来日を企画した中心人物・ディアハートの宮田氏のレポートが載っています。宮田氏によれば、20分間フリーズの間、ジョアンは「一人一人の心にアリガトを言っていた。気がついたら20分経っていた。」とのこと。
「観客の全員に感謝します」なんて陳腐な表現だけど、それを本当にステージ上で実行するアーティストは、世界中でジョアン・ジルベルトだけだろう。あの時、ジョアンが本当に涙を流していたのなら、それは日本の観客に感動しての涙だったのでしょう。